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医師免許サーチ! [謙虚にオピニオン]

厚生労働省が、知らぬ間に、こんな検索システムを作っていたとは。

http://licenseif.mhlw.go.jp/search/

年齢がバレている場合、何歳で医師免許を取得したかも一発で分かってしまう。
同姓同名の医師がいる場合、悪い評判が立っても人違いでしょ!?とごまかせるかも(笑)

面白いのは、昭和43年に廃止されたインターン制度を経て国家試験を受けた昔の医師は、ちゃんと卒業から1年遅れの年が、医師免許登録年となっていること。

おちおち行政処分なんか受けたらここに載ってしまうらしく、バレバレで大変なことになりそう。患者が医師の情報を得られるのはメリットなのかも知れませんが、医療訴訟の増加に加えて、このように行政処分が公開されることにより、医師がますます保身を第一に考えた医療を行うようになる傾向は避けられず、果たして究極的には患者のメリットになるのかは、よーく考えてみた方が良さそうです。

【結語】
医療訴訟ブームや行政処分の公開は、“患者様”にとっては文句無しにメリットにはなるが、“患者の皆様”のメリットになるかは、その利用の仕方、医療従事者と医療利用者双方の意識次第。

【PS】
“患者様”という言葉と“認知症”という言葉は撲滅したい。


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日本がバカチョン社会を目指していいのか? [謙虚にオピニオン]

リンナイのガス湯沸器の一酸化炭素中毒事故関連のニュース→http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/38959/

リンナイの問題についていえば、やはり換気扇を回さずに室内排気したら、不完全燃焼するのは自然の摂理。

まぁ、うっかり換気扇回し忘れたり換気扇が何らかの理由でうまく機能しなかったときに備えて不完全燃焼感知装置を付ける、フェイルセーフの発想は必要だと思いますが、そもそも小学生レベルの燃焼の基本的原理、換気の必要性を理解していない人、理解しようともしない人の存在を前提とするようなフールプルーフ*な社会を日本が目指していいのだろうか、という疑問が拭えません。

(*注)foolproof:フールプルーフカメラと言ったら、バカチョンカメラのこと。ちなみに、時々誤解している人がいるので念のため言っておきますが、バカチョンの“チョン”という言葉はそもそも、朝鮮半島の民族に対する差別とは全く無縁の言葉です。

ちょっと乱暴な言い方だというのを自覚しながら、アメリカに住んだ経験から言うと、アメリカはフールプルーフ社会の典型だと思います。例えば、貧しい人も節約という観念が全くなく、冬の暖房を使い放題使った挙げ句に、お金が無くなって暖房が使えずに凍え死にそうになると行政に泣きつくのです。最近は若干変わってきたらしいですが。

フール(バカ)が不利益を全く被らずに生きて行かれるフールプルーフ社会には、2点の問題があると思います。

1.高コスト社会になる。

2.一種のモラールハザード、つまりは利口になる意味が失われて誰も努力しなくなる 。

特に2.は格差拡大社会の潜在的な要因になりかねないと密かに僕は危惧しているのです。

小泉内閣〜安部内閣に批判的な人の中に、格差拡大社会を問題にする人がいます。僕も確かに格差の拡大は良いことではないと思いますが、反小泉・反安部の人たちの主張を聞いていると、バカチョン社会を構築することによって格差社会の下の方にこぼれてしまった人たちを救おうとしているようなのです。

僕は述べてきたように、それでは本当の格差はますます拡がると思います。救済(すなわち社会のバカチョン化)によってどんどん格差が拡大し、救済をさらに強化しなくてはならなくなるという悪循環は、根本的な格差解消に逆行する姑息的手法でしかないと思います。

安部内閣の「美しい国日本」という政策スローガンは確かにイマイチわかりにくいところもあるのですが、日本人は皆が利口になろうという努力を惜しまないところが美徳であったと思います。安易にバカチョン社会を目指すことは、日本の美徳を失うことになりかねません。


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立派な警察官の感動的な行動 [謙虚にオピニオン]

「死にたい」女性が踏切へ、制止の警官ひかれ重体
 6日午後7時30分ごろ、東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅構内で、駅のそばの踏切から線路に入り込んだ同区内の無職女性(39)と、女性を保護しようとした警視庁板橋署常盤台交番勤務の宮本邦彦巡査部長(53)の2人が、池袋発小川町行き急行電車(10両編成)にひかれた。
 車両の下敷きになった2人は約50分後に救出されたが、宮本巡査部長は頭の骨を折って意識不明の重体、女性も腰の骨などを折る重傷。
 同署によると、同交番に1人で勤務していた宮本巡査部長は午後7時ごろ、通行人から「警報機が鳴っている踏切内に女性が立っている」と知らされ、目の前の踏切内に駆け付け、「死んでもいい」などと抵抗する女性を交番に連れてきて説得した。

- 読売新聞 [02/07(水) 01:44]

http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20070206i214



警察官大声の制止むなし、女性すり抜ける…東武線事故
 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日夜、線路内に入り込んだ女性(39)と、救出しようとした警視庁板橋署常盤台交番勤務の宮本邦彦巡査部長(53)の2人が電車にはねられた事故で、一度は保護した女性が再び踏切内に入ろうとした際、宮本巡査部長は踏切の前で立ちはだかって止めようとしていたことが分かった。
 直後に遮断機が上がったため、女性は人込みに紛れて踏切から線路内に入り込んでおり、同署で事故当時の状況を調べている。
 同署によると、踏切近くの同交番にいた宮本巡査部長は、「踏切内に女性がいる」との通報を受け、この女性をいったん交番内に連れてきたが、女性が説得中にスキを見て飛び出し、踏切内に再び入ろうとした。

- 読売新聞 [02/07(水) 15:08]

http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20070207i406



産経新聞のイザ!にも同じ事件の記事
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/38219/

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/38168/

僕が言うのもおこがましいのですが、この宮本邦彦巡査部長は立派のひと言! 警察官の鑑ですね。宮本巡査部長の回復を心から祈るのみです。

我が身の危険を顧みず、警察官としての公務(誤解してはいけません。この自殺志願の女性を救おうとしたことではありません。公共交通機関の運行に支障が出て多くの人が迷惑しないように尽力したことです)を全うしたことに、感動を覚えました。結果的に、宮本巡査が瀕死の重傷を負いながら、女性の命も救われました。

この女性の足でも狙って拳銃を発射できれば良かったのにと思います。そうすれば、電車も無事で、女性の命も救うことができましたから。まあ、あの場面ではほかに人が大勢いたので現実的には無理だったでしょうが。あるいは、「死にたいならこの銃で撃って殺してやるからこっちに来なさい」と言って騙すとか。

このような重症の精神病患者の人権は、実質的にどうやったら守れるのか、いつも考えさせられます。

そして、
‥‥精神病患者の人権を守るためには、その他の者の人権が部分的に制限を受ける場合があるのはやむを得ない。なぜならば精神病患者は自己責任で病気になったわけではないので、その不利益の一部は病気でない人間も含めた全員が一定割合の負担をするのが公平の理念にかなうから‥‥
という考え方に現代社会は立っているのだ、ということをもう一度しっかり認識しましょう。


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「いじめ」と「浮気」 [謙虚にオピニオン]

最近巷でにわかに問題として取り上げられている「いじめ」問題。いろいろ議論はあるようですが、「浮気」問題と類似点が多いような気がします。ここで言うところの浮気とは、結婚している人が配偶者以外と肉体関係を持つことです。

★「浮気」は倫理的にも法的にも(刑法の姦通罪は廃止されましたが)、許されない悪行とされています。
☆「いじめ」も善か悪かという問い方をすれば、たいてい誰もが悪と答えるでしょう。

★しかし「浮気」にもいろいろあって、浮気された配偶者や子供の心にひどい傷痕を残してしまうものから、まあちょっと魔が差したというような比較的罪の浅いものまであるでしょう。
☆同じく「いじめ」にも、とんでもない酷いものから、たわいのないからかいに近いものまで、態様は色々だと思います。

★浮気される方には、法的な責任はなくても、多くの場合何らかの原因はあると思われます。
☆いじめられっ子を責めることは決してできないとしても、いじめられる原因が無いという話とは違います。

★浮気した方は浮気によって道徳性を否定されても、性的魅力を肯定されたと思い込むことで救われます!? 一方、浮気された方の道徳性が高く評価されるわけではなく、性的魅力を否定されたと思うとみじめになります。
☆いじめっ子は悪いヤツだと人間性を否定されても、強さを誇示できたと思い込むことで救われます!? いじめられっ子は、自分が弱いだけでなく、人間として問題があるからいじめられるのではないかと思うとみじめです。

★大昔から「浮気」の事例は後を絶ちません。
☆「いじめ」も昔からあります。

これだけ類似点があるのですから、対策、解決法、未然に防ぐ方法も双方で通じるところが多いと思います。

「浮気は絶対にやめよう」「この世の中から浮気を根絶しよう」「浮気をされたら黙っていないで相談しよう」
今のいじめ対策は、こんなことばかり言ってるのと同じですが、それで浮気がなくなったり、浮気された人が救われるとはとても思えないのですが…。

ここではこれ以上論を進めませんが、「いじめ」問題に比べたら「浮気」問題の方が、世の中で議論が尽くされていて、いろいろな方策についてもある程度熟したものがあるでしょうから、大いに参考にするべきじゃないですかね。


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「教育」と「医療」 [謙虚にオピニオン]

教育問題のテレビを見た話(→http://blog.so-net.ne.jp/amegoza/2006-11-11)を昨日書いたら、教育問題に取り組んでいる方からコメントをいただきました。
自分自身は、教育の問題は日本の将来にとって重要であり興味あるテーマなので、日頃から考えることもあるのですが、とても難しく、いろいろな問題について確固とした「マイ・ポリシー」というものが確立しているわけではありません。

ただ、考え方のヒントとして、頭に置いていることがあります。
それは、今まで自分が仕事で関わってきた医療の話と、教育の話は類似している点があるということです。

1つは、個々の患者を2つに分けて、Aという治療とBという治療の両方を試して比較してみるということができないのと同じように、個々の子供について、Aという教育上のアクションとBというアクションの両者を試してみることができない難しさです。そうだからこそ医師や教師に一定の裁量が認められているのでしょう。

もう1つは、患者を治療する医師、子供を学校であずかる教師は、契約上の責任・義務を負っています。患者と医師、児童・生徒(の親)と教師の関係を、契約だけで説明しようとすることには限界があるし、問題があると思いますが、少なくとも契約という部分は基礎にあると思います。その義務は決して、この治療を受ければ病気が治りますとか、うちの学校の子供には、これだけの学力・体力・徳が身につきますとかいう結果を請け負うものではないということです。

以上の2点があるからこそ、医師は診療する1人の患者を目の前にすれば、科学的(疫学・公衆衛生学や統計学を動員します)にベストであると言えるような医療行為を行うことが義務になります。ベストを尽くしたのであれば、結果として患者が死んでも許されるのですから、何がベストな医療行為であるか、という点は当然厳しく規定されています。医療過誤の裁判では、ベストな医療行為を行わなかったというだけで、患者のベストな医療を受ける権利を侵害した責任を賠償しろと言われます。

そう考えると、教師も学校教育の場で、ベストを尽くす義務があるのは当然でしょう(反面として、家庭で教育すべきことは、おかしな親がアホな要求してきたとしても断固突っぱねて家庭教育をするように説明する義務もあると思います)。僕は教育現場のことはあまり知らないので、間違っていたら指摘していただきたいのですが、印象としては、上記の2点を、ベストを尽くさない教師の格好の言い訳として持ち出しているところが、医療の世界と比べて甘すぎるなという印象を持っています。

「教育は科学でなくてはなりません」「科学といえるには再現性が必要です」
これは戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の言葉です。

戸塚校長はたまたま僕と大学同窓の先輩でもあるのですが、決してここで戸塚校長の教育理論を擁護するつもりはありません。しかし、同じように科学に限界があるのを認めながら、医療ではそれでも限界まで科学的にアプローチするのに対して、教育では限界があることを言い訳に、端から科学を放棄している気がしてなりません。

例えば、体罰は本当に全て悪なのか、可能な限り科学的に研究・議論したのでしょうか。僕は体罰を全面的に容認するのは良くないと思う一方、体罰を一切禁止してしまうと、医療でいったら、傷害罪にならないようにメスで切らずに手術をしろ、と言われるような理不尽で不都合な場面もたまに出てくるような気がしています。


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ノリシロ!? [謙虚にオピニオン]

こないだシーズン終えて帰国マリナーズの城島選手、会見で1年目の成績について「自分にはまだまだノリシロがあると思います」とコメントしてました。
ノリシロじゃなくてノビシロと言うんじゃないかなと思いましたが、どうなんでしょ。天下のNHKニュースでも“ノリシロ”と字幕を打っていたのですがね。


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セレブの上を行く [謙虚にオピニオン]

ここ何年か、「セレブ」という言葉がよく使われてます。「セレブな生活」とか「セレブな人々」はたまた「セレブなレストラン」なんて使い方まで、少々乱用気味。

もともとcelebrity=有名人という意味の英語が語源のようで、本来の意味からはちょっと外れた用法ですよね。

それより何より「セレブ」という言葉からは、にわか成金趣味で成り上がりのニオイが感じられて、嫌なんですよ。

そんなセレブ志向の人達が立ち打ちできないのが、2文字違いでも中身は大違いの「サラブ」でしょう。もちろんthoroughbred=サラブレッド(この英語の綴りをちゃんと書ける人はなかなかなものだと思います)が語源で、セレブの上を行く言葉として私が提唱いたしました。「セレブなんか目じゃないよ、やっぱりサラブでしょ」とか「さすがサラブは毛並が違うよね」とか、そんな文脈で用いましょう。


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ロハスな生活、ロハスな人間関係 [謙虚にオピニオン]

最近、「ロハス」という言葉が流行ってますよね。LOHAS(Lifestyles of Health and Sustainability=健康で継続可能なライフスタイル)という意味ですが、なかなかフルの英語が正確に出てくる人は少ないとしても、だいたいのイメージは聞いたことある方も多いかと思います。
そして、健康で継続可能という言葉には、環境との調和を重視するエコライフ、あるいはスローライフという意味も含まれるとされています。

さて、ここで僕がおそらく「ロハス」からの派生語を提案したいと思います。
それは「ロハス」です……それじゃ一緒だろって?
カタカナで書くと同じロハスなのですが、LOHASではなくROHASです。

ROHASとはズバリ、Relationships of Health and Sustainability=健康で継続可能な人間関係ってこと。つまり、友人でも恋人でも家族でも、人間関係がストレスにならないような健康的な関係を長く築いていくことの大切さを、ロハスな関係という言葉に象徴的に込めたいと思うのです。そして、少々大袈裟に聞こえるかも知れませんが、その人間関係によって、お互いが自然環境や社会に対しても良好な関係を築けるような人間として成長することを信念とする、みたいなね。

どうですか? ロハスな生活&ロハスな人間関係。考え方としても言葉としても、なかなかいいでしょ?


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不幸な経緯を辿らなければいいですが… [謙虚にオピニオン]

読売新聞サイト記事より↓
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060121i213.htm
※現在記事が削除されたかURLが変わってしまい、上記リンクでは記事が読めません。どっかの中学校か高校の教師が、試験の採点が間に合わなくて適当な点数を生徒に通知したのがバレて大目玉を食ったというニュースでした。それに対する僕のコメントが以下です↓

この教師、鬱なんじゃないの? それだったら、学校の対応はマズくないか? 謝罪させたり、教頭が監視して授業やらせたり、プレッシャーかけすぎてるから、鬱なら突然自殺しかねないよ。知ーらないっと。


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大相撲・年間最多勝記録 [謙虚にオピニオン]

今年、朝青龍が年間84勝6敗で、昭和53年・北の湖の82勝8敗の記録を破ったとか言いますが、その価値は北の湖のが断然上。ライバルの強さが全く違います。
この年は若三杉改め若乃花が横綱昇進した年で勢いがあり、若乃花も年間78勝しています。そして輪島も衰えが見え始めた頃とはいえ、まだまだ健在。大関だって貴ノ花、三重ノ海、旭國がいました。
朝青龍を脅かす強い力士の層が薄い今とは訳が違います。
昭和53年は、北の湖が最後の九州場所、痛風が出て4敗してしまい、年間完全6連覇も逃したのが惜しまれますね。


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