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「教育」と「医療」 [謙虚にオピニオン]

教育問題のテレビを見た話(→http://blog.so-net.ne.jp/amegoza/2006-11-11)を昨日書いたら、教育問題に取り組んでいる方からコメントをいただきました。
自分自身は、教育の問題は日本の将来にとって重要であり興味あるテーマなので、日頃から考えることもあるのですが、とても難しく、いろいろな問題について確固とした「マイ・ポリシー」というものが確立しているわけではありません。

ただ、考え方のヒントとして、頭に置いていることがあります。
それは、今まで自分が仕事で関わってきた医療の話と、教育の話は類似している点があるということです。

1つは、個々の患者を2つに分けて、Aという治療とBという治療の両方を試して比較してみるということができないのと同じように、個々の子供について、Aという教育上のアクションとBというアクションの両者を試してみることができない難しさです。そうだからこそ医師や教師に一定の裁量が認められているのでしょう。

もう1つは、患者を治療する医師、子供を学校であずかる教師は、契約上の責任・義務を負っています。患者と医師、児童・生徒(の親)と教師の関係を、契約だけで説明しようとすることには限界があるし、問題があると思いますが、少なくとも契約という部分は基礎にあると思います。その義務は決して、この治療を受ければ病気が治りますとか、うちの学校の子供には、これだけの学力・体力・徳が身につきますとかいう結果を請け負うものではないということです。

以上の2点があるからこそ、医師は診療する1人の患者を目の前にすれば、科学的(疫学・公衆衛生学や統計学を動員します)にベストであると言えるような医療行為を行うことが義務になります。ベストを尽くしたのであれば、結果として患者が死んでも許されるのですから、何がベストな医療行為であるか、という点は当然厳しく規定されています。医療過誤の裁判では、ベストな医療行為を行わなかったというだけで、患者のベストな医療を受ける権利を侵害した責任を賠償しろと言われます。

そう考えると、教師も学校教育の場で、ベストを尽くす義務があるのは当然でしょう(反面として、家庭で教育すべきことは、おかしな親がアホな要求してきたとしても断固突っぱねて家庭教育をするように説明する義務もあると思います)。僕は教育現場のことはあまり知らないので、間違っていたら指摘していただきたいのですが、印象としては、上記の2点を、ベストを尽くさない教師の格好の言い訳として持ち出しているところが、医療の世界と比べて甘すぎるなという印象を持っています。

「教育は科学でなくてはなりません」「科学といえるには再現性が必要です」
これは戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長の言葉です。

戸塚校長はたまたま僕と大学同窓の先輩でもあるのですが、決してここで戸塚校長の教育理論を擁護するつもりはありません。しかし、同じように科学に限界があるのを認めながら、医療ではそれでも限界まで科学的にアプローチするのに対して、教育では限界があることを言い訳に、端から科学を放棄している気がしてなりません。

例えば、体罰は本当に全て悪なのか、可能な限り科学的に研究・議論したのでしょうか。僕は体罰を全面的に容認するのは良くないと思う一方、体罰を一切禁止してしまうと、医療でいったら、傷害罪にならないようにメスで切らずに手術をしろ、と言われるような理不尽で不都合な場面もたまに出てくるような気がしています。


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