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税金と給付に関する、素朴な私見と疑問 [謙虚にオピニオン]

税金は公平であること、収税コストが安いこと、なるべく単純で分かりやすいこと(巧妙な脱税がしにくいということで公平にもつながりますし、収税コストの安さにもなります)の3つが大切だと思います。


それを前提に、とりあえず個人(自然人)に課される税金について、素朴な思い付きで書いてみたいと思います。


消費税については、よく逆進性が言われます。逆進性とは、低所得者に対してより負担が重くなる性質があるということです。確かに、食料品など日常必需品に対する消費は、エンゲル係数という言葉もあるように、低所得層ほどその割合が高くなるので、逆進性はあります。しかし、個人に課される税金が消費税オンリーなんてことはないのですから(後に述べる給付も含めて広い意味で税金と考えれば、たとえ消費税オンリーであったとしても)、逆進性ゆえに消費税を庶民の敵のように悪者扱いをする人は、あまりにも単細胞なオツムで発想しているとしか思えません。

ついでに言えば、消費税の逆進性を緩和するために、食料品など日常必需品に対する税率を下げようという発想も、同じ理由で、僕には賢者の発想とは思えません。


その裏返しのような単細胞なオツムから出た発想と思われることが、子ども手当だか児童手当という名前に戻すのだか、とにかく広範囲に現金を給付をするのに、高所得者は受け取れないように線を引いて制限を設けようという話です。ちょっと前の定額給付金をどうするか、という時にも似たような議論がありました。

金持ちにも貧乏人にも同額のお金を配るのはケシカランということらしいのですが、これだって、お金を配るという行為だけを、極めて視野狭窄した目で見た結果、何となく気分的にケシカランような気になっているだけです。ちょっと考えてみたら、例えば金持ちにも貧乏人にも月に10万円配ったら、どちらにとってより生活支援のインパクトが大きいかは言うまでもないでしょう。誰にでも同額のお金を配るのは、ちょうど消費税の逆進性を打ち消す効果があるということです。

だいたい定額のお金を給付するのに、所得で線を引いて制限をしたら、ボーダーラインよりちょっと上の人とちょっと下の人では、逆転現象という不公平が生じることくらい、誰でも分かります。その不公平を解消するには、ちょうど所得税の逆の計算をして、複雑で人によって給付額を変えなくてはなりません。

ですから、子ども手当だとか定額給付金だとかについては、気持ちよく単純に定額を給付するのが良いに決まっています。それでも金持ちにお金をあげたくないというなら、立派な富豪や、面倒くさがりのお金持ちが、給付を受ける手続をしないことに期待すれば十分です。


定額給付金も、子ども手当も、選挙の人気取りという下心のある政治家のやったことで、動機はどうも気に入りませんが、このような広く定額の現金給付をするということ自体は、先ほど言ったように、逆進性の逆(累進性というのでしょうか)の効果がありますし、計算自体は単純そのものですから、結構良いものだと思います。

僕個人としては、消費税を食料品でも何でも単純一律にしっかり取るようにして、その逆進性とやらは、気前の良い定額給付金を配って打ち消すようにすれば良いと思っています。


もう1つ、個人に課される税金で大きなものが所得税です。所得税については、チマチマした累進課税の税率はやめた方が良いと思います。担税力の大きい金持ちから沢山取るという考えは、そう極端でなければ認めるべきだと思いますが、税率とナントカ控除が複雑過ぎると思いますので、もっと単純にすべきと考えます。

具体的には、所得税を払っているということが一種の経済的ステイタスになるくらい、例えば年間所得額が800万円とか1000万円くらいないと、所得税を払いたくても払えないくらい、所得税の課税下限をグンと引き上げてはどうでしょうね。そして、相当高い課税下限を超えた部分について、仮に税率は一律として累進課税を設けずに所得税を課したとしても、所得税を払うのは金持ちだけ、小金持ちに比べて大金持ちは実質的な税率は相当高い、ということになります。
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人生の価値=死に様の決め方 [謙虚にオピニオン]

人間は、必ず死にます。
ですから、生きていくということは、つまり、どのように死を迎えるかということなのです。

仮に原発から東京へ向けて(東京という場所は例として挙げただけです)、命に関わる影響を及ぼすような放射線が発せられるような事故に拡大したとします。
その前に、言ってみれば他人を出し抜いて東京を離れ、それらの人が被害を被っているのを見て、
「だから早く逃げろって言ったのに‥‥でも、自分は助かって良かった」
と思えるのでしょうか?

そこで助かったとしても、必ず将来、その人は死を迎えます。
死を迎えるその時に、自分の人生は良い人生だったと評価できるのでしょうか?

退避すべき場所の人が、退避することは大切だと思います。退避すべきかどうか、自身で判断しないで人任せにするべきとも思いません。しかし、他人を出し抜いて被災を免れる行動が、その人の人生にとって価値があるのでしょうか?

世の中には、人生の途中で人を出し抜いて生き延びた一時期を経て死を迎える人と、人を出し抜くようなことはせずに死を迎える人の2通りに分けることもできます。

ガソリンや食料を買い出しに走るのも、人を出し抜く行動だと思います。

気付かずにパニックに陥ってそういう行動を取っている人も多いでしょう。
人を出し抜く行動だと意識しないで、実は人を出し抜くことに繋がる行動を、僕自身も取っていることもあるかも知れません。
しかし、大人が無意識であっても人を出し抜いたならば、子どもと違って責任はあります。

人生の価値=死に様の決め方は、その人自身が評価することなのかも知れません。
僕は、人を出し抜くような生き方をしないように、常に自問自答しながら、出来ることならなるべく遠い将来に死を迎えたいと思っています。
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東京在住の皆さまへ [謙虚にオピニオン]

東北関東大震災の二次災害として、福島原子力発電所のことを、皆さん心配していると思います。

北海道は、距離的に離れているからか、ここ紋別は特にノンビリした街だからか、全く他人事という雰囲気です。

東京の母や妹からの話によると、東京ではスーパーの棚がガラガラだったり、ガソリンが入れられなかったりで、かなりのパニックみたいですね。

情報がなかなか遅かったり、ハッキリしなかったりすることが、不安を煽る要素だと思います。
しかし政府は、日本全体の正に「最小不幸」を考えて、そのために良いと思う情報しか基本的に流さないはずです。
個々人にとってベストな行動を得るための客観的な情報が流れてくることには期待できないので、諦めましょう。

過度に恐れてパニックになるのはいけませんが、何か政府発表、報道発表情報以外に得られる情報も大切にしたいですね。

僕は、危険レベルの判断として、直接情報は諦め、間接情報を活かしたいと考えています。
間接情報もなかなか伝わらないとは思いますが、直接情報は、上に述べたように期待できないので。

(レベル1)
小●○郎みたいな狡賢いと思われる政治家など、著名人で私利私欲の塊みたいなタイプの人が東京を逃げ出したら、少々注意。

(レベル2)
政府がリスク対策として、西日本に分散政府の動きを見せたら、かなり危険。

(レベル3)
皇室が京都御所に避難したり、首相官邸が西日本に退避したらかなりの具体的危険。
ただし、陛下は臣民のために最後まで皇居にお残りになられることも考えられるので、皇太子ご一家の動きが大切かと思われます。
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プリウスのブレーキ問題について [謙虚にオピニオン]

(NHKオンラインニュースより)
トヨタ自動車の佐々木眞一副社長は3日夜、前原国土交通大臣を訪ね、ハイブリッド車「プリウス」の最新型でブレーキが一時利かなくなるという苦情などが寄せられている問題や、アメリカでのリコール問題について説明しました。 前原大臣に説明を終えたあと佐々木副社長は、記者団に対し、国内で販売された「プリウス」で一時的にブレーキが利かなくなるという苦情や通報が、国土交通省などに寄せられていることについて「国交省に寄せられた14件より多くの問い合わせが、トヨタに届いている。その1件1件を精査して原因を追及し、対策を取りたいと説明した」と述べました。

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プリウスのブレーキは回生ブレーキを組み合わせた特殊構造なんだから、癖があるのはある意味当たり前。欠陥ではない気がする。

クルマをバカチョン化して売ってきたトヨタの罪は大きいからあまり同情しないけど、ユーザーがバカチョン化してはダメだよ。少なくともメカニズムの基本と、義務教育で教わる程度の理科くらいはわかる賢いユーザーにならないと。

しかし、クルマが益々売れなくなっているこのご時世、クルマ買ってくれさえすれば、お客様はバカだろうが何だろうが神様ってことになってよいのだろうか。

それと、プリウスがスゴい優秀なクルマなのは認めるけど、プリウスが日本で最も売れるクルマというのには、どうも気持ちの悪さというか違和感がある。

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言葉狩り [謙虚にオピニオン]

先日の九州旅行で見つけたもの ↓

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僕なんかは寧ろ、

言葉狩り 暗黒社会の第一歩

ではないかと思うんですけどね‥‥。


ちなみに直方(のおがた)というのは、僕も好きな近代相撲史上最強大関・魁皇の出身地で、福岡〜直方間には、魁皇の名を冠した「特急かいおう号」が走っています。

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素晴らしい人格者‥‥妊婦死亡のニュースより [謙虚にオピニオン]

安心して産める社会に=「誰も責める気ない」−死亡妊婦の夫が会見
(2008/10/27-21:53 時事通信社)

 東京都内で8つの病院に救急搬送を断られた妊婦(36)が脳内出血で死亡した問題で、夫の会社員男性(36)が27日夜、厚生労働省で記者会見し、「妻が浮き彫りにしてくれた問題を、力を合わせて改善してほしい。安心して赤ちゃんを産める社会になることを願っている」と訴えた。
 夫によると、妊婦特有の高血圧もなく健康だった妻の容体が変わったのは4日夕。掛かり付けの産科医院に着くころには頭痛が激しくなり、医師が搬送先を探している間中「痛い痛い」と言い続けていた。「こんなに医療が発展している東京でどうして受け入れてもらえないのか、やりきれない思いだった」。
 約1時間後、都立墨東病院での受け入れが決定。救急車では「痛い」とも言わなくなり、「目を開けろ」と言ったら辛うじて開ける状態。「病院に着くころにはもう開けなかった」と振り返り、声を詰まらせた。
 搬送要請で、医師は頭痛が尋常でない状況を伝えていたといい、「伝わらないはずがないと思うが、誰も責める気はない」と夫。最初に断った同病院の当直医について「傷ついて辞めるようなことになったら意味がない。絶対辞めないでほしい」と話した。
 さらに脳死状態で3日間を過ごした妻が亡くなる日、保育器に入ったままの赤ちゃんを連れてきて妻の腕に抱かせてくれて、親子水入らずの短い時を過ごしたエピソードを披露。「墨東病院の医師も看護師も本当に良くしてくれた。彼らが傷つかないようにしてほしい」とした。
 夫は、医師不足や搬送システムなど浮き彫りになった問題について「のど元過ぎれば忘れるのではなく、具体的な目標を持って改善に向かってほしい。何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい」と話した。

同じニュース、読売新聞の記事はこちら↓
http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=soc&aid=20081027-570-OYT1T00610


この妻を亡くした男性、何と素晴らしい人格者なのでしょう。感動を覚えます。
そして、特に、この男性に「傷つけたくない」と言われた医師をはじめ医療従事者、それからこのニュースを聞いて感動した医療従事者は、きっと亡くなった女性と家族の無念と悲しみを忘れず、謙虚な気持ちでこれからも医療に携わってくれることでしょう。
また、何かが変わるためには、患者の立場の人々も、このニュースを聞いて感じ、変わるところが少しでもあれば、本当に有り難いことです。

最後になりましたが、亡くなられた女性のご冥福を心からお祈りいたします。
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庶民感覚って何ですか? [謙虚にオピニオン]

メディアは民主党に政権を取らせたいという風潮なのはいいとして、最近は、麻生太郎首相が毎日のように高級バーで飲んでるだとか、高級レストランで美味いモノばかり食ってるとか、閣僚の資産公開にも絡めて庶民感覚が足りないなどと、嫉みとしか思えないくだらないことまで書かれていますね。
それにしても、メディアや一般国民が首相に求める庶民感覚って何なのでしょう?

高級バーやレストランで飲み食いするのがいけないと言うなら、いかにも高級そうな誂えのスーツを着るのもダメなんですかね。我が日本国を代表して外国へ出て行くときなんか特に、やっぱりどこへ行くにも恥ずかしくない格好で行って欲しいですし、高級な場所で飲み食いするのに慣れていなくて浮き足立ってしまうようではちょっと困ると思うんですけどね。

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会談を前に韓国の李明博大統領(左)と握手する麻生太郎首相。両首脳はトップが相互に行き来するシャトル首脳外交の継続で一致した(24日、北京市内のホテル=代表撮影)【時事通信社】
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大いなる誤解 [謙虚にオピニオン]

「本件患者の死亡という結果は、‥‥という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ない」
平成20年8月20日福島地裁判決(県立大野病院事件)より


『病院で診療行為が行われた以上、過失が無ければ患者の死亡という結果になるはずがない』

と、患者や遺族の立場からはそう信じたい気持ちから、大いなる誤解に陥ってしまうのはいた仕方がない面はある。総じて現代の日本人は自分に降りかかる不利益や不幸を自身で受け止める心の容量が小さくなっているために、それを他人や社会の責任にしてしまうから。

そのような誤解にどっぷり浸かってしまった者にとっては、頭記の判決文の言葉は、全く奇妙で信じられない異端な考えとしか思えないかも知れない。

しかしながら、たとえ将来どんなに医学が進歩し医療水準が上がろうと、生死の定義が根本的に変わらない限り、それが誤解であることは変わらないであろう。

また、自らに降りかかった不利益や不幸を自身で受け止める心の容量が小さいから傷付いてしまう患者や遺族は二重の意味で気の毒ではあるが、その傷付いた心を癒すために、真面目な医師が責任追及の攻撃を受けたり、ましては犯罪者として裁かれるなどとんでもない話である。心の容量縮小という社会現象までも、医師が一手に引き受け、犠牲になって治癒に努めなくてはならないいわれはないのである。
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潔く清々し [謙虚にオピニオン]

日本橋三越に来た。

先日ビーチ相撲での指の怪我は骨折していて、順天堂の整形外科のドクターが迅速に手術予定を入れてくれて、明日外来で手術を受けるので、お礼の商品券を買いに。

三越の中は、エコロジーなんてクソ食らえと言わんばかりにドン冷えで、最近のシブチン冷房ばかりのご時世に、潔さと清々しさを感じた。

生ぬるいよりも顧客の購買行動がアクティブになるというサイコロジカルな効果の計算もあるのだろうが、ああいうのは、経営トップが世論におもねて腰抜けになり、渋い冷房を指示したらそうなるだろうから、三越の経営トップの立派な見識を感じた。

そう、冷房を入れる者自身のための冷房である一般家庭やオフィスとは、同じ冷房といっても全く次元が違う話で、そんな営業用の冷房をケチることに期待する風潮に対して潜在意識で感じていた違和とフラストレーションが、三越のドン冷えでスカッと解消したのだと思う。

高島屋など、ほかのデパートメントストアがどうなっているか気になる。調べに行くほど暇でないが、冷房がシャキンと効いているところほど、今後の業績もシャキンとする気がする。

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患者様とお医者様 [謙虚にオピニオン]

以前の記事 http://blog.so-net.ne.jp/amegoza/2007-04-07
の最後に追伸として、「患者様」という言葉について、僕が否定的な考え方だということをちょっと書きました。

そこで、「患者様」という言葉に違和を感じる原因を分析してみると、2点あるように思います。

一つは、「犠牲者様」とか「被害者様」と呼ばれたらバカにされたと感じるように、○○者という言葉に様を付けるのは、そもそもおかしいということ。
僕が思うに、「患者様」という言葉と同じ○○者様という構造を持つ「お医者様」とか「お医者さん」と呼ばれるのに医師が慣れてしまっているので(ただし、「患者」は公式な用語だが、「医者」は俗語)、「患者様」という言葉を使っても違和感を覚える感受性が麻痺してしまっているのだと思います。

もう一つは、「患者」という言葉を、医療機関がサービスの中で対外的に使うことについての可否です。
僕としては、「患者」という言葉は医療機関が対外的に使う言葉としては廃止して、その代わりに「受診者」あるいは「利用者」、どうしても「様」を付けたいなら「受診者の皆様」などと言うのがいいと思います。
「患者」という言葉は医療機関の対内的な用語、あるいは学術的な用語としての色が濃い言葉です。銀行に預けているお金を引き出そうとしに来た人が、「預金債権者」と呼ばれたら変だと感じるのと同じです。

そんなことを思っていたら、2007年05月02日の朝日新聞の記事(都内版では夕刊一面でした)を見つけました。インターネット版のasahi.comにも載っていたので、以下、そのまま転載いたします。
「患者様」について、皆さんはどう思いますか。

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http://www.asahi.com/health/news/TKY200705020172.html
「患者様」ちょっと違和感 「患者さん」に戻す病院も

 「患者様」という呼び方が病院ですっかり定着した。しかし、好きで病気になったわけでもないのに、違和感を感じる人もいる。もともと患者の立場を尊重した医療の実現などを意識して使われ始めた言葉だが、「日本語としておかしい」という指摘もあり、「患者さん」に戻す病院が出てきた。


「患者様」から「患者さん」に変えられた院内の掲示板=京都大学病院で

 京都大学病院(京都市)では、昨年末から掲示物やホームページなどの「患者様」という表現を「患者さん」や「患者の皆さま」に改める作業を進めている。院内放送を録音し直し、看板はすべて取り換えた。

 呼称の変更は病院の幹部会議で決め、2000人余りの職員に文書やメールで周知した。「様」をつけていいのは「田中様」といった姓の後だけ。一山(いちやま)智・副院長は「院内で違和感があるという声は以前からあったが、患者自身からも『馬鹿にされている感じがする』という意見があった」と言う。

 さらに変更の理由の一つに、院内で医療スタッフへの暴力や暴言が多発していることを挙げる。「『患者様』と呼ぶことが直接の原因ではないが、一部の人に誤った意識を助長しているような気がする」と一山副院長は話す。

 「患者様」という言葉は、患者本位の医療やサービス向上を意識して一部の病院で使われ始めた。01年に厚生労働省が出した国立病院のサービスに関する指針に、「患者の呼称の際、原則として姓(名)に『さま』を付する」という内容があり、広まったらしい。

 00年に「様」を導入した長野県東御(とうみ)市の東御市民病院では03年、「サンさま再検討委員会」が作られた。アンケートの結果、職員、患者とも「『さん』の方が身近で親しみを感じる」という意見が多かったことから、「さん」に戻している。委員長を務めた薬剤師の中山孝子さんは「患者と対等な立場になることが重視される中で、医療はサービスと称してへりくだった態度をよしとする思い違いをしてきたような気がする」と振り返る。ただ、公的性格の強い文書や掲示物では「様」という表現を残しているという。

 一方、近畿地方のある大学病院の教授は「教授会で議論して『さん』が良いという結論にはなったが院内で徹底するのは難しい。医師と窓口の職員とでは考え方が違うようだ」と話した。

     ◇

 「患者様という言葉はおかしい」との指摘は、国語学者の故金田一春彦さんも自著でしている。「日本語を反省してみませんか」(角川書店)で、「『患者』という言葉自体がすでに悪い印象を与えるため、いくら『さま』をつけてもらってもうれしくない。(中略)いくら頑張っても敬うことにはならないのである」と書いており、医療関係者が見直しをするきっかけにもなった。

     ◇

 〈95年に全国に先駆けて「患者様」という言葉を取り入れた亀田総合病院(千葉県鴨川市)の亀田信介院長の話〉 言葉の使い方は本質的なことでない。病院ごとに決めれば良いと思う。うちはホスピタリティー(もてなしの心)の一環で「患者様」という言葉を使っているが、これは公的な場のことで、患者が知り合いの漁師なら、「どう、元気?」と切り出すこともある。状況に応じたパートナーシップを築けるのがプロの仕事だと思う。


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